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水戸地方裁判所 昭和31年(行)25号 判決

原告 椎名喜代松

被告 茨城県教育委員会・茨城県人事委員会

主文

原告の請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告代理人は「被告茨城県教育委員会が原告に対し昭和三十年五月十日付をもつてなした茨城県立結城第二高等学校教諭より同県立大子第一高等学校教諭への転任処分はこれを取り消す。被告茨城県人事委員会が原告に対し昭和三十一年八月十八日付をもつてなした茨城県教育委員会の右転任処分を承認する旨の不利益処分の判定はこれを取り消す。訴訟費用は被告らの負担とする。」旨の判決を求めた。

二、被告代理人らは、いずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」旨の判決を求めた。

第二、当事者の主張

一、原告の請求原因

(一)  (被告両名に共通の部分)原告は茨城県公立学校の教員で、昭和二十九年十月二十日以降茨城県立結城第二高等学校(以下、結城二高と略称する。)教諭として勤務していたものであつて、被告茨城県教育委員会(以下、被告県教委と略称する。)は地方公務員法第六条により、原告の任命権者であり、また被告茨城県人事委員会(以下、被告県人委と略称する。)は同法第七条および第八条により、原告に対する不利益な処分を審査し、必要な措置をとる権限を有する行政機関であるところ、原告は、被告県教委より昭和三十年五月十日付をもつて、茨城県立大子第一高等学校(以下、大子一高と略称する。)に転任を命ぜられ、同日その辞令書の交付を受けた。原告は右転任処分(以下、本件転任処分と略称する。)を、「その意に反する不利益処分」であるとして、地方公務員法第四十九条の規定にもとづき被告県教委に処分事由説明書の交付を請求し、同年五月二十五日付の説明書の交付をうけ、ついで同年六月二十一日付で被告県人委に対し、本件転任処分が原告の退職勧告拒否に対する報復的処分であり、他の職員に比して著しく不利益な条件をもつてなされた処分であるとしてその取消を求めるため審査の請求をしたが、昭和三十一年八月十八日被告県人委は本件転任処分を承認する旨の判定をし、同判定書は同年八月二十日原告に送達された。

(二)  (被告県教委に対する請求の原因)

(I) 本件転任処分は違法な手続により成立したものであるから取り消されるべきである。すなわち、本件転任処分は被告県教委の昭和三十年五月九日の臨時会で付議決定されたものと考えられるのであるが、教育委員会の会議は教育委員会法(同法は昭和三十一年九月三十日限り廃止となつたが、本件転任処分は同法施行中の処分である。)の規定する手続を履践して開催されるべきであるのに、本件転任処分に関する事項については会議に付議すべき事項として、同法第三十四条第三項所定の告示がなされていなかつた。その結果原告は利害関係人として右会議を傍聴する機会を奪われたことになり、結局右臨時会は右同法第三十七条第一項に規定する会議公開の原則にも違反するものといわなければならない。

よつて右違法な手続により開催された臨時会において、議決成立した本件転任処分は違法である。

(II) 本件転任処分は、被告県教委の自由裁量権の範囲を逸脱した違法があり、取り消さるべきものである。

(イ) 本件転任処分は著しく不利益な処分であり、地方公務員法第四十一条の「職員の福祉および利益の保護については、適切かつ公正でなければならない」旨の規定の趣旨を無視したものである。

被告県教委はかねてより「転任は通勤可能な範囲においてかつ同一条件の者について行う」という転任方針を言明し、他の職員に対しては通勤可能な地域で前任地と同一の勤務条件をもつて転任せしめたにかかわらず、原告に対してのみは、その意思を全く無視しその意思に反して、通常の人事異動期でないときに、通勤の不可能な地域にありかつ教職員組合を組織していない大子一高に転任させ、よつて原告に精神的、経済的に莫大な損害を蒙らせたものである。すなわち、本件転任処分当時原告は住居地(栃木屋小山市大字犬塚八七一番地)において自己所有の相当な面積の耕地を管理耕作する農家の主宰者であり、また老令かつ病気療養中の実父を扶養看護すべき立場になつた。そして右事情は処分者において熟知していたにもかかわらず、原告の意思に反して通勤不可能な大子一高に転任せしめたことは、かりに転任地に借家があつたとしてもいわゆる二重生活を余儀なくせしめ、原告の農業経営を困難にし病父の看護をも不可能としたものである。原告は昭和三十年五月十三日大子一高に赴任し、茨城県久慈郡大子町本町六九二番地植田幸七方に下宿生活をすることになつたが、これにより、毎月下宿代金二千九十円、毎週一回帰宅に要する交通費(月四回として)金二千百六十円、通信費金二百円、新聞雑誌代金四百四十円、人夫費用(勤務の余暇に自宅の農業に従事できないため要する人夫賃)金七百円、以上合計毎月七千円以上の出資を必要とし、二重生活により少なからざる財産的損害を蒙るに至つたものである。なお、原告は赴任後は、前記のように、日常病父の看護をなし得ないことになつたが、父は原告が大子一高に赴任後一か月もたたないうちに死亡したのであり、このことによつて原告の蒙つた精神的打撃は大なるものがある。

(ロ) 本件転任処分は人事行政上の必要にもとづきなされたものではない。原告は社会と農業の免許状を有するものであるが、本件転任処分当時大子一高では、社会ないし農業の免許状を有する教員を必要としているわけではなかつた。当時同校では社会および農業の免許状をもつた教員として、同校々長栗原武夫を別としても石崎良・能木久義・徳蔵敏夫の三名が、社会の免許状をもつた教員として、岡崎英ほか八名が、農業の免許状をもつた教員として、谷田部武雄ほか十名が、それぞれ在職していたものであり、実際の授業担当においては、右崎教諭は農業の免許状を有しながら農業を一時間も担当せず、また社会の免許状を有しながら社会を一時間も担当しない教員が四・五名いる実情であつた。そして一方国語の免許状なしに村田・石崎・秦の三教諭が国語を担当し、原告も赴任直後校長から社会と国語を担当するよう指示されたものである。つまり当時大子一高において、絶対的に不足していたのは国語の免許状を有する教員であつた。

そもそも教育行政の要諦は、教育者が安心して全人格を没入して教育という人間育成の大事業に専念する環境の整備に存するものであり、また教育成果向上のため専門の教科による免許状主義をとり、各科目に専門家を配置する建前が法律制度上とられているのであるから、教員に対する人事行政上右のことがらを無視することは絶対に許されないのである。大子一高では、前記のように国語の免許状なしに国語を担当せしめていたのであるが、これは教育職員免許法第三条の規定に違反するものである。教育行政上はかかる法律違反の状態の解消を第一に考慮すべきものであり、したがつて大子一高へは人事行政上の必要からすれば、国語の免許状を有する教員を補充すべきであつた。社会と農業の免許状しか有しない原告を転任せしめた本件転任処分は、とうてい人事行政上の必要によるものとは考えられない。

(ハ) 本件転任処分は原告が被告県教委の退職勧告を拒否したため、その報復手段として原告の再起不能を企図し、その退職を余儀なくさせるため組織的計画的になされた恣意的処分である。

原告は昭和三十年二・三月頃、被告県教委から直接あるいは結城二高校長を通じて数度にわたつて退職を勧告され、その際勧告に応じない場合は転任させる旨をも言明されていたところ、原告があくまで退職の勧告に応じなかつたため、同年三月二十八日頃被告県教委は既に原告の意思を顧慮することなく一方的に大子一高に生ずべき欠員の補充として原告を転任せしめることを内定し、当初から他に転任の候補者を選考することなく、同年五月に至り大子一高への本件転任処分を発令したものである。そして被告県教委は昭和三十年二・三月頃の退職勧告に際しては、原告が退職勧告基準のいずれにも該当し特に勤務成績が不良であることをその理由としていたにもかかわらず、本件転任処分では、原告が大子一高の新校長栗原武夫の補佐役として適任であり、原告以外に適任者が皆無であることを理由とするという矛盾をおかしているのである。そして、原告の転任当時大子一高では校長の補佐役ともいうべき教頭、定時制主任、農場主任等は既に決定しており、原告は学校内の校務分掌上特別の事務の分担を命じられていないのである。

以上(イ)(ロ)(ハ)に述べたごとく、本件転任処分は人事行政上の必要性にもとづくものではなく、原告が被告県教委の退職勧告に応じなかつた報復的処置として、通常の異動時期でないのに、同被告において、原告の意思を全く無視し、原告に精神的、経済的に莫大な損害を与えその退職を余儀なくせしめる目的をもつて、極めて不利益かつ不平等な条件のもとになさした計画的慾意的な処分である。すなわち右処分は被告県教委の有する自由裁量権の範囲を逸脱した違法な処分にほかならないから、原告はその取消を求めるため、本訴に及んだ次第である。

(三)  (被告県人委に対する請求の原因)

被告県人委は、職員の不利益処分に関する審理手続においては、準司法機関として適法かつ公正に審理をなすべきものであるところ、「職員の不利益処分に関する審査に関する規則」(昭和二十六年八月十三日付茨城県人事委員会規則第五号)に違反しあるいは著しく公正を害する手続により審理をなし、かつ採証の法則に反して不当に事実を認定し、本件転任処分を承認する旨の判定を下したものである。

(I) すなわち、〈1〉被告県人委は、第六回公開口頭審理期日(昭和三十一年四月三日以下単に期日と略称する。)に次回第七回期日(昭和三十一年六月八日)を最終陳述期日と指定告知したので、原告は同期日をもつて審理が完結することを予想していたところ、被告県人委は第七回期日に抜打的に職権で書証および、証人に対する証拠調を強行し、原告に防禦の機会を与えなかつたものである。〈2〉同期日の五名の証人は本件転任処分に直接関与した教育委員長、教育長など被告県教委側に属する者のみであり、右証人中長南俊雄・栗原武雄・神谷四郎の三証人は既に第四回期日に証人として証言をしており、さらに尋問すべき必要性がないのに再度尋問したものである。〈3〉右尋問手続中証人鈴木春吉同鈴木徳民の両名に対する尋問に際しては、偽証の制裁に関する告知を怠り、証人長南俊雄・同栗原武夫・同神谷四郎および原告本人の尋問に際しては、偽証の制裁の告知および隔離尋問の実施を怠つたものである。〈4〉被告県人委は、同期日にあらかじめ職権で取り寄せた書類等について、丙号証として証拠調をしようとしたので、当事者より異議を申し立て、一部は被告県教委側で乙号証として提出したが、他の書類は職権による書証として採用した。右はなんら職権発動の理由がないのに、被告県教委側に有利な認定をなすためにしたもので不当であるのみならず、特にそのうち五十嵐徳一、為我井四郎の口述書(宣誓口述書でない。)は伝聞証拠であつて証拠能力がなく、また公開口頭審理の席上朗読ないし提示もなされていないから、右証拠調は違法である。〈5〉前記証人等の証言内容は既になされた証言と著しく矛盾し、あるいはあいまいであり、明らかに偽証であつて、信憑力のないものである。

よつて原告は第八回期日に、第七回期日の審理手続は著しく不適法かつ不公正なものであるから、これをすべて取り消し、同期日の証人の証言および本人尋問の結果等を証拠から排除するよう異議を申し立てたが、被告県人委はこれを却下したものである。

被告県人委は第七回期日に収集した証拠をことごとく本件判定の認定資料としたものであるから、右審理手続の瑕疵は本件判定に重大な影響を及ぼしたことは明白であり、したがつて本件判定は違法として取り消されるべきものである。被告県人委は本件転任処分を承認するため、被告県教委の主張を補充立証する目的のもとに第七回期日において前記違法な審理手続を強行したものにほかならない。

(II) 被告県人委は、本件転任処分には手続上の瑕疵がなくかつ被告県教委の自由裁量権の範囲を逸脱した違法な処分とは認められないとして、同処分を承認する旨の判定を下したものであるが、本件転任処分が違法な手続によつて成立したものであり、かつ被告県教委の自由裁量権を逸脱した違法な処分であることは前記のとおりである。それゆえ右被告県人委の判定は、法律の解釈・事実の認定を誤り、不当に原告の審査請求を棄却した違法があり、取り消さるべきものである。

二、被告県教委の答弁

(一)  原告の請求原因事実中(一)の事実は認める。

(二)(I)  原告の請求原因事実中(二)(I)の点について。本件転任処分はその成立手続の瑕疵により取り消さるべきであるとの見解を争う。

本件転任の人事は茨城県教育委員会規則第七号「茨城県教育委員会教育長、教育次長および課長の専決規程」(昭和二十四年八月九日施行、以下専決規程と略称する。)第五条第九号所定の専決事項に該当するものである。同条は教育長の専決事項とされている事項を掲げたものであるが、第九号では、「職員および教職員の進退賞罰ならびに身分に関すること(教育次長、課長および各廨所長を除く。)但し懲戒処分に関することを除く。」と規定してあり、校長以外の教職員の進退賞罰ならびに身分に関することは教育長の専決事項とされているのである。(専決規程第二条第二号は教育長の専決除外事項に属するものとして「委員会事務局および学校その他教育機関の主要な人事に関すること」を挙げているが、そのいわゆる「主要な人事」の内容を第五条第九号によつて明らかにしているのである。なお、教育長の専決事項とするということは教育委員会が教育長に行政法上の意味における委任をするというのでなくて、事務の代理をなさしめる趣旨であつて、教育長は教育委員会の名において当該事項の処理ないし処分をすることになるのである。)そこで、昭和三十年五月六日頃茨城県教育長の専決により本件転任処分が決定されたものであり、同月九日の被告県教委の臨時会において、教育長および学務課長が右決定の経過につき報告をなし、同月十日付で転任の辞令を発したものである。すなわち、本件転任処分は被告県教委が同委員会の会議に付議決定して行なうことを要しないものであり、また前記臨時会に議題として付議決定したという事実もないのであるから、その会議の招集手続等につき違法の点があるとする原告の主張は、その前提において誤つているものというべきである。

(II) 原告の請求原因事実中(二)(II)の点について。

本件転任処分はつぎのような経緯によつてなされたものである。

昭和三十年三月三十一日茨城県立水戸農業高等学校長稲葉甲午郎の退職にともない、同年四月一日付で大子一高校長神永政好が右水戸農業高等学校長として転任し、同日付で大子一高教頭栗原武夫が同校校長に就任した。そのため大子一高には教員一名の欠員を生じたが、その補充は新任校長の学校経営上の意向を尊重する必要があるため、直ちには行われなかつた。同年四月十一日右栗原校長は、茨城県教育庁学務課に出頭し、高等学校係栗田清主事に対し大子一高の欠員補充について申出をしたが、その際補充を要する教科関係は「農業」と「社会」であり、特に同校が農業課程を主とする学校であるため、農業系統で社会科の授業も担当できる人を補充したい旨、さらに同校の職員組織が比較的若年層である関係上豊かな教職経験を有する相当年配の人が望ましい旨の要求をした。これにより学務課では、高等学校係が教員の履歴書等の資料によつて選考し、候補者を数名挙げて検討した結果、前記条件に該当する者はおおむね教頭あるいは農場主任の地位にあり、各学校において学校運営上手放しえない実情であり、かつ大子一高では教頭あるいは農場主任を必要とするものではないので、結城二高の教員である原告が最も適任であるとの結論に達したものである。あらかじめ原告のみを特定して欠員補充の候補者としたものではない。そしてこの旨学務課長にも一応の了解を得た上で、同年四月十五日頃大子一高栗原校長に栗田主事から原告を欠員補充に向けることについて同校長の意向をただしたところ、快諾をえた。そこで、結城二高校長長南俊雄に対して、原告の転出について同じく意向をただしたところ、結城二高では既に原告を含めた新年度の時間割を編成して授業を行なつているのであるが、後任補充を考慮してもらえるならばさしつかえなく、なお結城二高は女子系の普通課程の高校であるのに対し、大子一高は本来農業課程を主とする学校でありまた原告がもともと農業系統の学校出身者で農業と社会の免許状を有しているので、原告にとつて適所をうることになると考えるから格別異存がない旨回答してきた。そこで大子一高校長に結城二高校長が原告の転出を承諾した旨を伝え、同年四月下旬に至つて原告の転任に関する書類が正式に学務課に提出された。

被告県教委は、同年四月二十八日結城二高校長を通じて原告に大子一高への転任が内定した旨伝え了解を求めたところ、原告は大子一高は遠拒離にあつて通勤不可能であり、実父も病気中であるからとの理由で、転任を了承できない旨を述べ、翌二十九日病父の診断書を同校長に提出した。

同年四月三十日結城二高校長は前記栗田主事に原告が転任を了承しない旨を報告し右診断書を提示した。しかし同診断書には、診断期日「昭和三十年四月二十九日」、安静療養期間「昭和二十九年九月二十一日より昭和三十年五月に至る間」という記載があり、また家庭の事情からして原告が転任を希望しないとしても、種々検討の結果他に大子一高への転任の適任者がいない事情であつたので、栗田主事は原告に転任を了承するよう説得することを結城二高校長に依頼した。一方この間学務課長みずからも履歴書等により慎重に検討した結果、前記高等学校係の調査と同一の結論に達した。しかしなお原告は右転任に相当強い反対の意向である気配がうかがわれたので、学務課長から教育次長さらに教育長にまで本件転任内定の経緯概要を口頭で報告し一応の了解をえたものである。

このような情勢にあつて、昭和三十年五月一日付をもつて原告から高等学校長採用志願書が被告県教委に提出されたのであるが、同志願書中、任地の希望についての本人記入欄に、「第一志望・第二志望以外の学校または教育委員会でもよい」旨の意思表示があり、第一、第二の特定高校以外の高校でも赴任することが可能であり、原告の遠拒離云々による右転任拒否は根拠薄弱であることが確認されたのでで、公的な観点からすれば原告に本件転任を了承してもらうべきであるという要求の方が強いという結論に達し、同年五月六日頃教育長の専決により本件転任処分が決定され、前記のように同月九日の被告県教委の臨時会に報告され、同月十日付で発令されたものである。

原告主張の(II)の(イ)について。

原告は、公務員である以上全体の奉仕者であるべく、教育公務員の公益優先の立場からいつて職務の遂行をこそ第一義として考えるべきが当然である。農耕に支障をきたすことになるからそれが直ちに不利益処分であると断ずるのは本末を顛倒したものである。殊に原告は教員としては最上位に属する俸給を受けており、その額は大子一高では校長をもしのぐ最高額であるに至つては、たとえ農耕に支障が生じたとしても、扶養家族は妻一人であつた原告としては生活を脅かされる危険は全くないのである。

さらに、原告がかりに農業の主宰者であるとしても、事実は本人自ら直接農耕に従事するものでなく、十分の稼働力を有する長男(三十六歳)家族が原告の住居地に同居していて、長男夫妻および時に応じて雇用する人夫が実際の仕事に従事しているのであつて、原告は単に財産の管理者であるに過ぎず、長男は既に独立しうる状態に達しているのであるから、原告が大子町に住居を移転しても、従前同様の財産管理が全然不可能になることは考えられない。この意味において原告主張の農耕の主宰者である云々の理由は採るに足らないものである。

さらに、原告は、本件転任処分にともないいわゆる二重生活を余儀なくせしめられ、経済的に著しい損害を蒙つたと主張するが、当時原告の家族は原告の父(八十二歳)、原告の妻、長男(三十六歳)、長男の妻、三女(小山市内の森永製菓に勤務)、孫三人であり、原告の子女は既に成人してそれぞれ一応自立していたのであり、また大子一高では原告の着任のため、特に間数も充分あり家賃も低廉な相当の住宅を用意し経済的に不安のないように配慮していたのである。しかるに、原告は敢えて単身赴任して下宿を求め、みずから二重生活をえらんでいるのであつて、これをもつて著しい不利益と主張するのは失当である。

原告主張の(II)の(ロ)について。

前記本任転任処分の経緯において述べたごとく、本件大子一高の欠員補充に関しては、教科関係、教職経験の長短等、大子一高校長の要望を考慮して検討した結果原告を適任者と認めたものであつて、本件転任処分は人事行政上の必要性にもとづくものである。原告は、国語科の担当教員こそ絶対に不足していたのだから、社会農業の免許状を有する原告よりも、むしろ国語の免許状を有する教員を大子一高に転任せしめるべきであつたと主張するけれども、同校においては、従来国語の免許状を有する教員が四名いてこれで国語科の授業の運営に支障がなかつたのである。ただ、たまたま昭和三十年二月から国語担当の大金教諭が欠勤することになつたし、その後同じく国語担当の岡村教諭が教頭になつたため、同人の国語科担当時間数をへらすこととなり、これらのことが原因となり、昭和二十九年度末から昭和三十年度にかけて国語科担当教員の手不足状態を招いたが、栗原校長が県教委に後任補充を要請した頃は、大金教諭の欠勤はさほど長期にわたるものとも考えられぬ様子であつたし、教頭に昇格する岡村教諭も国語科を全然担当しないというわけでもないので、国語の免許状を有する教員をもつて補充すべき旨要請することをしなかつたのである。

原告主張のIIの(ハ)について。

本件転任処分は原告が退職懇請を拒否したための報復的処分ではない。

昭和二十九年度における被告県教委の退職懇請(懇請であつて勧告ではない。)は、同年度末および昭和三十年度初めの定期異動方針の趣旨に則り、年令・勤務年数・家庭の経済事情・勤務状況などを総合勘案の上、該当者に対し退職を願い出るよう懇請したものであるが、原告に対しては、昭和三十年三月三日結城二高校長を通じて退職の懇請をしたところ、原告から退職について考慮する旨の回答があつた。ついで同月五日、原告より右校長に対し字都宮に就職先があれば退職してもよい旨の申出があつたので、同校長が宇都宮に出張して心当たりをたずねた結果、作新学院高等学校に転任の可能性について見とおしがついたので三月八日同校長からその旨原告に伝えたところ、原告はこれを了承しなかつたものである。その後は、校長による退職懇請を打ち切り、同月二十八日学務課長および同課高等学校係鈴木主事から原告ほか二・三名の被退職懇請者に対し、退職できない事情を個別的に聴取したのであるが、原告には退職の意向が全然ないことが確認されたので、被告県教委の原告に対する退職懇請はこれを打ち切つたのである。

そして、結城二高では原告を含めて昭和三十年四月以降の新学期の時間割を編成し授業を開始していたのであるが、前述したごとく同年四月初旬の大子一高の人事移動に伴い同校に欠員が生じたので、その補充のため数名の候補者より選考の結果、原告に対し本件転任処分を行なつたものである。原告が退職懇請に応じなかつたことに対する報復手段として原告のみを初めから特定し転任処分を行なつたというような事実は全然ない。

以上のように本件転任処分は、原告への退職懇請打切りの後、新たに発生した別個の事態に処するため、人事行政上の必要にもとづいて、被告県教委が有する自由裁量権の範囲において適法になした行政処分であつて、原告の主張するような恣意的報復的な処分ではない。

三、被告県人委の答弁

(一)  原告の請求原因事実中(一)の事実は認める。

(二)(I)  原告の請求原因事実中(三)の(I)の点について。

被告県人委が第七回口頭審理期日に原告主張のような証人および本人ならびに書証の職権証拠調をしたこと、証人長南俊雄・同鈴木徳民・同鈴木春吉・同栗原武夫・同神谷四郎・原告本人の尋問手続において偽証の制裁を告知しなかつたこと、前記証拠調を職権で行なつたことに対し審査請求者たる原告の代理人が異議を申し立てたことは認める。その余の事実は全部否認する。

請求者代理人は右期日の証拠調に立ち合いながら、右偽証の制裁の不告知に対しては異議を申し立てることなく自らも尋問しており、右の点についてはいわゆる責問権を放棄したものである。また、五十嵐徳一・為我井四郎の口述書に証拠能力がないとすべき理由はない。元来証人等に対する再尋問の必要性の有無、証拠の取捨選択については、審判をなす被告県人委の自由裁量に属するものであつて、職権で人証書証等の取調を行ない得ることも明らかであり、この点に関する原告の主張は理由がない。

以上被告県人委の判定手続には取り消さるべき瑕疵は存しないものである。

(II) 原告の請求原因事実中(三)(II)の点について

本件転任処分が被告県教委の専決規程にもとづいてなされたもので、同規程にいわゆる主要な人事に該当せず、教育長において専決処理し得べきものであることは、被告県教委の主張するとおりである。また、本件転任処分は、被告県教委の主張するように、同委員会の自由裁量の範囲内において、人事行政の必要上行なわれたものと認めるべきであるから、右転任処分を承認する旨の被告県人委の判定が違法であるとする原告の主張は失当である。

四、両被告の答弁に対する原告の主張

(一)  本件転任処分が専決規程第五条第九号所定の専決事項に該当する処分である旨の見解を争う。右処分は専決規定第二条第二号記載の専決処理の除外事項たる「主要な人事」に該当するものであり、被告県教委において付議決定さるべきものである。従来校長の人事は専決事項から除外されていたものであるが、右同条同号の規定は校長以外の人事でも主要な人事は同じく専決事項から除外される趣旨のものである。けだし専決事項の存する所以は、普通何等問題とならない事項は、いちいち教育委員会に付議せず教育長に委任し、教育長の責任において、その名をもつて事務を処理させるところにある。ところが主要かつ異例な人事においては、教育委員会の責任を明確にする必要があり、そこで専決事項より除外して委員会の会議において付議決定さるべきものとしているのである。そして、本件転任処分は通常の人事異動期でないときに、原告の意思に反する内申書にもとづき、被告県教委の猛烈な退職勧告を原告が拒否した後において、大子一高の新任校長の有力な補佐役を補充するための処分であり、しかもあらかじめ、被告県教委において原告より本件転任処分を「不利益処分」として被告県人委に審査請求の手続をとることを予想してなされたものであつて、このような転任処分は主要な人事に関する処分というべきである。

よつて本件転任処分は教育長の専決処理しえないものであり、被告県教委において付議決定さるべきものである。もし、被告県教委の会議に付議決定したものでないとすれば、教育長が何らの権限にももとづかずして被告県教委の名において本件転任処分を行なつたものというほかない。

(二)  被告県教委の本件転任処分発令の経緯についての主張事実について。

(I) 被告県教委は、大子一高の欠員補充につき、同校校長から、同校の職員組織が若年層であるため相当年配の人をもつて補充してもらいたいとの要望があつたと主張するけれども、大子一高の職員組織は明治生れの教員が九人、大正生れの教育は十七名であつて、五十歳前後より退職を勧告する被告県教委の人事行政から考えれば、同校の職員組織は若年層で構成されているとはいえないのである。

(II) また、被告県教委は、原告がもともと農業系統の学校出身者であると主張するが、実際は、原告は九州帝国大学法大学部聴講生として、大正十五年四月一日選科制度により経済学を履修合格し経済学士に相当する単位をすべて修得したもので、法学としては六単位を修得合格し、現に有する免許状も社会は一級であり、農業は二級であるにすぎない。

なお、原告は長南校長から転任の通知を受けたのみであつて、これを納得するようにといわれた事実はない。

(III) 原告が被告県教委に高等学校長採用志願書を提出した事実は認める。原告は校長になる意思はなかつたけれども、校長採用志願者名簿に記載されれば三年間有効であり、当然退職時期も三年間延長されると考えたため右志願書を提出したもので、任地志望は第一、結城二高・第二、結城一高とし第三にその他としたのは通勤可能のところという意味で書いたものである。

(IV) 被告県教委主張の作新学院高等学校へ結城二高校長が原告に就職を斡旋し、原告がこれを断つたとの事実は否認する。当時作新学院高等学校には、社会の教員は充足しており、原告を採用する見込は全くなかつたものである。

第三、証拠方法〈省略〉

理由

第一、被告県教委に対する請求について。

一、原告の被告県教委に対する請求原因事実中、(一)の事実については当事者間に争いがない。

二、先ず本件転任処分の成立手続の瑕疵の存否について判断する。

成立に争いのない乙第一号証によれば、被告県教委は、昭和二十四年八月九日同委員会規則第七号「茨城県教育委員会教育長教育次長及び課長の専決規程」を制定し、同規則は同日より施行されてきたものであるが、その第二条は「委員会は事務処理上その職務権限に属する事務のうち、次の事項を除き、教育長に専決処理させることができる。」と規定し、同条第二号には「委員会事務局及び学校その他、教育機関の主要を人事に関すること」を掲げ、また、第五条は「教育長の専決事項は次のようである。但し、左に掲げるものの外、事業の内容により適宜類推して専決することができる。」と規定し、同条第九号に「職員及び教職員の進退、賞罰、並びに身分に関すること。(教育次長、課長及び各廨所長を除く。)但し、懲戒処分に関することを除く。」と定めていることが認められる。このことと、甲第十五号証の一、二、三(被告県教委の昭和三十一年一月十九日の第四回公開口頭審理期日において採録した録音テープであることは、当事者間に争いがない。)中証人神谷四郎、同佐藤陸治の各供述関係部分、同号証の六、七(同上同年三月九日の第五回期日における録音テープであることは当事者間に争いがない。)中証人栗田清の供述関係部分、原告が成立を認めており、原告と県教委関係においても成立を認め得る丙第十四号証中証人鈴木春吉の供述記載部分、同第三号証中処分者代理人の陳述記載部分および証人佐藤陸治の証言を総合すれば、被告県教委は校長以外の一般教員の転任については、前記専決規程にいわゆる教育長の専決事項として、教育長が被告県教委に代つて、被告県教委の名において処理し得るものとの建前をとつており、原告に対する本件転任処分も、昭和三十年五月上旬教育長がこれを決し、同月九日に開かれた被告県教委の臨時会にその決定の経緯を報告したうえ、同月十日付で被告県教委の名において発令したものであること、したがつて、右臨時会においては、会議に付議すべき事項とはされていなかつたものであることが認められる。それゆえ、本件処分が右臨時会の議決により成立したことを前提とする原告の手続の瑕疵に関する主張は採用できない。

そこで、被告県教委の教育長が前記専決規程にいわゆる専決事項に属するものとして、原告に対する本件転任処分を決定し被告県教委の名において発令したこと自体、果たして、適法であるかどうかについて考えてみるのに、旧教育委員会法第五十三条第一項は、教育委員会が法令に違反しない限りにおいて、その権限に属する事務に関し、教育委員会規則を制定することができる旨規定しており、被告県教委の前記専決規程は右の規定にもとづいて規定されたものと考えられる。そして、一般に行政庁の権限の一部について、いわゆる専決事項として、補助職員に専決処理せしめるというのはすなわち行政庁がその権限の一部について、その補助職員に代理権を授与して、当該権限を代理行使させることをいうのであつて、行政法学上にいわゆる授権代理に当たるものと解せられる。原告は右のいわゆる専決を権限の委任と解しているようであるが、この見解は正当とは考えられない。この場合は、いわゆる権限の委任の場合において委任を受けた行政機関が権限を委譲され、すなわちその権限を自己の権限として、自己の名と責任において行使するのと異なり、代理者は、授権庁の名と責任においてその権限を行使するものにほかならないのである。ところで、旧教育委員会法第五十二条の二は「教育委員会は、教育委員会規則の定めるところにより、その権限に属する事務の一部を教育長に委任し、又はこれをして臨時に代理させることができる。」と規定し、代理の場合には、具体的に必要を生じた場合に臨時に代理せしめることのみを認め、あらかじめ代理せしめる事項を定めて代理権を授与しておくことを認めない趣旨のような表現をしているのであるが、元来授権代理については、委任と異なり法律上の根拠規定がなくてもこれを認め得べきものとされているのであり、また、実質上も教育委員会の場合に特に授権代理について右のような制限をなすべき必要があるとも考えられないのであつて、前記規定は、教育委員会があらかじめその権限に属する事務(特に教育委員会自ら権限を行使すべきものとされている事項はもちろん除かれる)の一部をいわゆる専決事項として定め、その事項については、教育長が教育委員会の名と責任において処理し得べきものとすることを必ずしも禁ずるものでないと解するのが相当である。そして、証人佐藤睦治の証言によれば専決規程の第二条第二号と第五条第九号の関係は、第五条第九号において特に除外している事項すなわち「教育次長課長及び各廨所長」の「進退賞罰並びに身分に関すること」とこれらの者はもちろんその他の「職員及び教職員」についても「懲戒処分に関すること」は第二条第二号の「主要な人事」に該当するものとして教育長の専決事項から除くけれども右に該当しない「職員及び教職員の進退賞罰並びに身分に関すること」は教育長が専決処理できるものであり、学校長は右第五条第九号にいわゆる「廨所長」に含まれるが、その他の教員の異動の場合は、専決事項の除外事由に当らないものとして、専決規程制定の当初から、被告県教委において人事の運営をしてきたことが認められる。また、前記第二条と第五条を対照してみるに、規定の体裁ないし、表現のしかたにやや当を得ないものがあるけれども要するに第二条と第五条により、委員会自ら処理すべき事項と教育長に専決処理せしめる事項とを明らかにしたもので、第五条第九号の除外事項はすなわち第二条第二号にいう「主要な人事」の範囲を説明したものと読むのが、すなおな読み方であると考えられる。そして第二条において委員会自ら処理すべきものとしている事項は、旧教育委員会法の建前上委員会自ら処理することとなつているものおよび委員会の権限に属する事務のうち重要なものであり、第五条において、教育長の専決事項としているのは、委員会の権限に属する事務のうち比較的重要でないもの、また委員会の機能上からみて一々委員会自ら処理するを適当としないと考えられるものであることが、右両条を比較対照すれば、看取できるのである。校長以外の一般教員の人事につきこれを教育長の専決事項としたのも右の方針に従つたものとみられるのであり、右専決事項の定めが旧教育委員会法の趣旨に反するものとも思われないから、被告県教委が専決規程制定の当初より教員の人事につき前記のように運営してきたことは適法であるといわねばならない。そして、原告に対する本件転任処分は校長として転任させるものではなかつたのであるから、本件転任処分につき教育長が専決し被告県教委の名において発令したこと自体を違法ということはできないのである。

原告は、本件転任処分が大子一高校長の有力な補佐役を補充するためのものであるとしてなされたこと、通常の異動時期でないのにしかも原告の意思に反して行われたものであること等異常な人事であるから専決規程第二条第二号にいわゆる「主要な人事」に該当すると主張するけれども、原告を大子一高校長の有力な補佐役として転任せしめる旨教育長が言明したというような事実はこれを認め得る適切な証拠はなく、その他、原告主張のような事実は必ずしも本件転任処分を教育長の専決事項に属しないものと解すべき根拠とはならないものと考える。

三、本件転任処分が被告県教委の自由裁量権の範囲を逸脱した違法があるか否かについて。

前記甲第十五号証の一、二、三、これらと同一期日における被告県人委の公開口頭審理において採録した録音テープであることに争いのない同号証の四、五中証人神谷四郎・同佐藤睦治・同長南俊雄・同栗原武夫の各供述録音部分、前記第十五号証の六、七中証人後藤勤治・同栗田清の各供述録音部分、昭和三十一年四月二十三日の同上第六回期日における録音テープであることに争いのない甲第十五号証の八、九中請求者本人椎名喜代松・証人長南俊雄・同栗原武夫の各供述録音部分、昭和三十一年六月八日の同上第七回期日における録音テープであることに争いのない甲第十六号証の一、二、三中証人鈴木徳民・同長南俊雄・同栗原武夫・同神谷四郎・請求者本人椎名喜代松の各供述録音部分、成立に争いのない乙第二号証同第五号証の一ないし七、同第六号証および原告本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実が認められる。

1、被告県教委では、昭和三十年一月頃に、昭和二十九年度末から昭和三十年度初めにかけての教員の定期異動のため一部の教員に対し退職の交渉をすることとし、当時その交渉をする相手方の選定については年令、勤務年数、家庭の事情および勤務状況を総合的に勘案してきめる建前とした。(年令は五十五歳以上、家庭の事情は本人が退職しても生活その他に不都合をきたさない者ということを基準としていたようであり、勤務状況は右の基準に該当しても特に優秀な教員は対象から除外するという方針であつた。)そして、右の方針のもとに退職交渉の相手方とすべき者八十数名を選定したうえ、同年二月二十六日頃当該教員の勤務する学校の校長を集めてその氏名を関係各校長に示し、各校長をしてそれぞれ当該教員に交渉させることとした。原告は、右の交渉の対象者に入つていたのであるが、原告の勤務していた結城二高の当時の校長長南俊雄は、被告県教委当局の旨をうけ、同年三月一日頃同月七日頃および同月十七日頃、原告に対し、県の方針にしたがい後進に道を譲つてもらえまいかと退職の交渉をしたが、原告は退職の意思がない旨答えた。さらに同月二十八日水戸市内ときわ荘で、被告県教委の係員から原告に、右と同様の交渉をしたが原告はやはり受諾しなかつたので、被告県教委は右の交渉を打ち切つた。

2、同年四月一日付で大子一高校長神永政好が県立水戸農業高等学校校長に転任し、大子一高の教頭であつた栗原武夫が同校校長に昇格した。それで、同校に教員一名の欠員を生じたわけであるが、同月十一日頃栗原新校長から被告県教委に欠員を補充せられたい旨の申出があり、その際栗原新校長は右の欠員補充については、同校が元来農業を主要科目とする高等学校であるし、また右栗原が教頭当時社会と農業(補習)を担当していた関係から、社会と農業を担当できる教員であること、同校の教員の平均年令が三十歳未満の若年層である関係から、相当の年配の教員であることを希望する旨の要望をした。そこで被告県教委の学務課において係員が右の条件に適合する者を職員録等により拾い出し、原告その他数名の候補者を得たが、現に教頭をしている者であるため不適当であつたり(大子一高の教頭は校内で補充する方針が決つていた。)その他現に勤務する学校の側で手放し得ないと認められる事情があつたりして、結局原告が最も適任であるとの結論を得て、上司に報告しその了解を得た。そこで同月十五日頃学務課係員から結城二高の校長長南俊雄に対し、原告を大子一高へ転出せしめることについての意見を徴したところ、長南校長からは当時同校長としては右の案を了承する旨回答があつた。よつてさらに、大子一高の栗原校長にその旨連絡し、同校長もまたこれを了承した。そして、長南校長は同月二十八日頃原告に対し右転任のことを話したが、原告は父が病気中であるからいま遠くへ転任するのは困ると述べ、翌二十九日父喜一郎の病気に関する医師の診断書を得て、これを持参のうえ長南校長宅を訪ね。右診断書を提出して転任を了承しがたい旨を述べた。(右の診断書は同日付のもので病名は「慢性腎炎及心臓不全症」安静療養を要する期間「昭和二十九年九月二十一日より昭和三十年五月に至る間」と記載されていた。)長南校長は学務課に出向き右診断書を提出して原告の意向を伝えた。そこで、学務課では、当時さらに先にした大子一高欠員補充についての選考を再検討したが、やはり原告の外に適任者がないとの結論であつた。ところが、原告は同年五月一日付で被告県教委宛高等学校長採用志願書を提出し、県教委は翌二日これを受理した。その記載によると、希望任地および学校は第一志望として結城市結城二高、第二志望として結城市結城一高とあり、なお「第一志望第二志望以外の学校または教育委員会でもよい」という欄に「レ」印がつけてあつた。(原告としては、校長採用志願書が県教委に受理されれば、その後三年間はその志願が継続するものとして扱われると聞いていたので、その間退職勧告を受けないですむという気持で右の志願を提出したもののようであるか、もとより被告県教委にはそのような事情はわからなかつた。)

そこで被告県教委では、前記原告の父の診断書の記載や校長採用志願書からみても、原告が大子一高への転任を了承しない理由は簿弱なものであるとし、同年五月四日頃教育長の決裁を得、教良長の専決により、本件転任処分を行うことを決定し、前記のように同月十日付で発令したものである。右転任処分の決定した当時、原告は本籍地である栃木県小山市大字犬塚八七一番地に住んでいたが、その家族は、原告の外原告の妻トク(明治三十年十二月三十日生れ)、長男敏夫(大正九年九月八日生れ)、敏夫の妻セツ、二女田鶴子(昭和七年十一月生れ、当時小山市にある森永製菓の店に勤務していた。)、三女美智子(昭和三十年五月一日から猿島郡沓掛の小学校に勤務していた。)敏夫の子三人で長女節子は他に嫁していた。父喜一郎は昭和二十二、三年頃から健康を害し、昭和二十八年三、四月頃病状が悪化したこともあつたが、その後は小康を得ていた。当時原告方は田畑約二町歩を自作しており、家屋敷の外山林一町五六反歩があり、耕作は主として長男敏夫が中心となつて行ない。原告も休日などには耕作の手伝をしていた。

以上の事実が認められる。

ところで、原告は、(イ)本件転任処分によつて原告の蒙つた物質的精神的の苦痛は甚大なものがあるのであるが、(ロ)本件転任処分は人事行政上の必要にもとづくことなく、(ハ)原告が退職勧告に応じなかつたことに対する報復的処置としてなされたもので、原告に苦痛を与えて退職を余儀なくさせようとの意図のもとになされたものであつて、自由裁量権を逸脱したものであると主張するので、これらの点について順次考えてみる。

(イ) 本件転任が原告に著しく不利益をもたらすものであるとの点について。

原告が結城二高に勤務していた際の住居地(栃木県小山市)から転任校たる大子一高の所在地(茨城県久慈郡大子町)までの距離は約百二十二粁余であつて汽車を利用して往復約七時間を要し、通勤不可能であることは公知の事実である。しかしながら、被告県教委が本件転任処分当時、転任方針として従来の生活の本拠から通勤の可能な範囲においてかつ同一の勤務条件をもつてのみ行うと言明した事実を認めるに足る証拠はない。また、原告は農家の主宰者として自己所有農地を管理耕作することが本件転任処分により不可能になつたと主張するけれども、原告方の農業経営は長男敏夫が主体となつてこれに当たつていたのであり、原告は休日などにその手伝をすることがあつたにすぎなかつたのであるから、本件転任処分のため原告の実家の農業経営に支障を来たすとはいえないわけであるし、公務員たる立場よりすれば、右のような理由が転任を拒否する理由とならないことは多言を要しないところである。原告の実父喜一郎が本件転任処分当時八十一歳の高齢であり、長く心臓等の疾患のため病臥していたことは前記認定のとおりであつて、この点は、原告の私情としてなるべく親と住居を別にしたくないという気持は了解できるのであるが、長男その他実家において喜一郎の看護に当たる者がいることでもあり、また原告自身も実家をはなれるとはいつても、時折り実家に帰つて見舞うことはできる程度の距離であつてみれば、公務員たる原告としては、これまた本件転任を不当とする強い理由となし得ないものといわねばならない。ことに、前記認定のように、原告が転任の内示を受けてから長南校長に提出した父喜一郎の診断書には、療養を要する期間として昭和三十年五月までと記載してあつたのであるし、同年五月二日県教委に出された校長採用志願書には希望校として結城市所在校以外でもよいとの記載があつたのであるから、被告県教委において原告が大子一高へ転任しがたいような強い理由がないものと判断したことは、あながち不当ともいえないであろう。

原告は、本件転任により二重生活を余儀なくされ多大の出費を要するに至つたと主張しており、原告本人尋問の結果およびこれによつてその成立を認め得る甲第三号証によれば、原告は大子一高に赴任後肩書住所の植田幸七方に下宿し、毎月金二千九十円の下宿代(部屋代千五百円の外電灯料入浴料炭代を含む。)をはじめ原告主張の諸経費合計七千円余を支出していることが認められる。そして、もし原告が従前どおり小山市の実家に居住していたならば右の費用はその大部分が支出を要しなかつたものといえる。けれども、それはたまたま原告が実家に居住することができたため支出を免れていたものであり、また勤務のため実家ないし本籍地をはなれることを拒否すべきなんらの権利があるわけではないのであるから、右の程度の支出を要するに至つたからといつて特に不利益といえるものではない。しかも、前掲丙第十六号証の二の証人栗原武夫および請求者本人の各供述録音部分によれば、本件転任処分当時、大子一高側においては、原告の赴任後の住居にあてるため、同校附近に公舎(六畳三間に勝手風呂場物置つき、使用料月三百円)を用意してあつたこと、しかるに原告は、右公舎には転居せず大子町本町の植田幸七方に単身で下宿するに至つたものであることが認められるのであつて、原告が右公舎に入居すれば、前記の費用中住居費などはより少額ですむはずであつたのである。

(ロ) 本件転任処分が人事行政上の必要性を欠くものであるとの点について。

本件転任人事の発端たる大子一高の欠員は同校々長神永政好が他に転出し、同校教頭栗原武夫が校長に昇格したために生じたものであるが、右栗原は社会と農業を担当していた関係上、社会と農業を担当できる教員をもつて補充することを要望したので、被告県教委は、社会と農業の免許状を有する教員について選考し、なお栗原新校長の要望により、相当の年配者という条件を加味して、原告を適任者として大子一高に転任せしめたことは前記認定のとおりである。

そして成立に争いのない甲第十三号証の一ないし五同第十四号証の一ないし五同第四号証の一、二同第八号証の一および証人村田好吉(第一回)の証言を総合すると、本件転任処分当時大子一高では社会、農業の両免許状を有する教員は栗原校長ほか三名、(うち一名は農業社会の外数学の免許状をも有していたた。)社会の免許状を有する教員は岡村英ほか八名、(社会のはみ一名、国語と社会が三名、商業と社会が一名、英語と社会が四名)農業の免許状を有する教員は谷田部武雄ほか九名(農業のみは二名、農業と理科が五名、農業と数学が一名、農業と農業実習等二名)がそれぞれ在職中であつたこと、そして農業の免許状を有していて農業を担当しない教員が一、二名、社会の免許状を有していて社会を担当しない教員が五名位あつたことが認められる。しかし、前記証拠によれば、それらの教員も他の免許状を有する科目については授業を担当していたことが認められ、それらの者の担当する授業時間数が特に少なかつたと認められる資料もないので、栗原武夫が校長に昇格し、社会と農業を担当しなくなつた以上、社社会と農業の免許状を有する者を補充する必要がなかつたとはいえないのである。つぎに国語科の担当教員についてみるに、前記甲第十三号証の一ないし五、同第十四号証の一ないし五、同第四号証の一、二、同第八号証の一および証人栗原武夫、同村田好吉(第一回および第二回の一部)の証言を総合すると、本件転任処分当時大子一高において国語の免許状を有する教員は、岡村英・北島正重・黒田英夫・大金保の四名であつたこと、ところが、岡村英は昭和三十年度には教頭となつたためその担当時間数を減らす必要があつたし、大金保は昭和三十年二月から同年五月まで欠勤をし出勤後も同年十月中までは午前中のみの授業としたため、国語の免許状を有しない石崎良・村田始吉・秦次郎の三教諭が本来の免許科目の外に国語をも担当して、昭和三十年度の授業の運営をしたことが認められ、さらにまた、甲第十五号証の五、同第十六号証の二、三中証人栗原武夫、同長南俊雄の各証言録音部分原告本人尋問の結果を総合すると、原告が昭和三十年五月二十三日大子一高へ赴任した際栗原校長は国語(短期講座)をも担当してほしいと申し入れたこと(社会と国語を担当してもらいたいと話したのか社会と農業と国語を担当してもらいたいと話したのかは、前記栗原・長南および原告の供述内容に食い違いがあつて、いずれとも認定しがたい。)しかし、原告は国語の担当を断り社会と農業を担当することになつたことが認められる。これによつてみれば、大子一高において国語の免許状を有する教諭が昭和三十年四月当時において手不足の状態にあつたことは明らかである。しかしながら、証人栗原武夫、同村田好吉(第二回一部)の各証言および同村田証人の証言により成立を認め得る甲第二十一号証の一によれば、昭和二十九年度において前記岡村・北島・黒田大金の四教諭が国語を担当していた当時にあつては、国語の授業になんら支障がなかつたのであつて、大金教諭の欠勤も長期にわたることが予想される状態ではなかつたし、岡村教諭が教頭になることはわかつていたが、これも国語の担当時間数を削減するだけで、特に国語の教員を補充しなくても、大金教諭が出勤し従前どおり授業を担当できるようになれば同校における国語の授業の運営は可能であるという考慮のもとに、栗原新校長は、欠員補充について被告県教委に社会と農業を担当し得る教員を要請したものであることが認められる。

そして、学校の授業の運営につき直接の責任を有する校長が、欠員補充について右のような要請をしてきた以上、被告県教委としても、社会と農業の免許状を有する教員を補充することは当然であつて、被告県教委が原告を大子一高に転任せしめたのは、人事行政上必要であるとの見地からしたものといわねばならない。証人村田好吉の証言(第二回)によれば、被告県人委において原告の申立にかかる不利益処分審査手続の係属中、大子一高校長が県人委に提出した授業時間ないし各教員の担当時間の表につき前後一致しない部分があつたし、またその表の作成がひまどつたという事実があつたことが認められる。そして同証人は、それは県教委の指示により、県教委の主張に都合のいいように事実に反することを記載したもので、ひつきよう不当な転任処分をしながら、それをごまかそうとしたため、右のようなことが生じたのであるとの趣旨の証言をしているけれども、同証人の証言(第一、二回)の一部および栗原証人の証言を合せ考えると、大子一高においては、授業の予定表と実際に行なわれた授業との間に食い違いがあつたし、殊に昭和二十九年度末から昭和三十年度にかけて、大金教諭の欠勤等のためしばしば授業の実際面で臨機の処置をとつた事実があることが認められるのであつて、このような事実を考慮すれば、同校当局の提出した書類に前後不一致があつたり、その作成に手間取つたという事実があつたにしても、これをもつて直ちに県教委が不当違法な転任処分をしたという事実を糊塗隠蔽せんとしたために生じたものということはできず、右の村田証人の証言は措信採用しがたい。以上のとおりで、原告に対する本件転任処分が人事行政上の必要性を無視してなされたものという原告の主張は採用できないのである。

(ハ) 原告が被告県教委の退職勧告に応じなかつた処分として本件転任処分がなされたかとの点について。

被告県教委が昭和三十年三月一日頃・七日頃・十七日頃の三回に亘つて結城二高校長を通じて原告に退職の交渉をなし、同月二十八日には、原告その他の者を「ときわ」荘に呼び出し被告県教委の職員が直接右の交渉をしたが、原告は常に退職の意思のないことを回答したこと、右三月二十八日以後本件発令まで退職の勧告はなされなかつたことは前記認定のとおりである。

原告は、被告県教委が退職勧告に際し、これに応じない者は転任させると言明していたと主張し、証人五十嵐徳一の証言中、同人は前記昭和三十年の学年末に同年三月二十八日まで十二、三回にわたり、同人が講師として勤務する結城第一高等学校の校長から強い態度で退職の勧告をされ、退職しなければとんでもないところに転任させるといわれた旨の供述部分があり、証人田代五郎の証言中にも、五十嵐・太田みどりおよび原告の三人とも退職勧告に応じなければ転任させるといわれたとの報告を受けた旨の供述部分がある。しかし、原告本人尋問の結果によれば、原告に対し退職勧告に応じなければ、転任させるという趣旨のことは結城二高の長南校長も県教委の職員もいつていないことは明らかであり、また甲第十六号証の三の証人神谷四郎の供述録音部分によつてみても、被告県教委において、退職の勧告に応じない者に対しては転任処分をもつて臨む方針をとつていたとか、その趣旨の言明をしたとかいうような事実はなかつたものと認められ、前記五十嵐田代証人の証言および甲第十五号証の八、九、丙第十三号証中証人吉田恒夫、同田代五郎の各証言の録音ないし記載部分は前記原告主張事実を認める資料としては採用できない。(退職交渉をうけた者のうち退職しなかつた原告以外の者が特に不利益を処遇をうけたことを認めるに足る証拠もない。)

また、原告は、原告に対する本件転任処分については候補者をあげて選考することなく、初めから原告を特定し、昭和三十年三月二十八日頃には事実上決定していたものであると主張するけれども、当初から原告のみを特定したものでないことは前に認定したとおりである。

原告本人尋問の結果中、大子一高教諭柏崎茂が昭和三十年三月下旬既に原告の本件転任が内定しているものである旨、当時の大子一高校長神永政好から聞かされていた旨の供述部分は、証人神永政好の証言に対比し措信しがたい。なお、証人村田好吉の証言(第一、二回)中昭和三十年三月末頃校長から相当年配の給料の高い先生が転任してくるかも知れないとの話があつたとの趣旨の部分があるけれども、証人栗原武夫の証言と対比し、にわかに信用しがたい。

さらに原告は、被告県教委が大子一高校長の補佐役として原告以外に適任者なしとして原告を転任させたのに、同校校長の補佐役ともいうべき教頭、定時制主任、農場主任等は原告以外のものがすでに決定されていたのは矛盾も甚しいというけれども、原告を教頭、定時制主任、農場主任等にするという趣旨で本件転任処分がなされたこと、被告県教委がそのようなことを原告に直接または間接に告知した事実を認めるに足るなんらの証拠もない。また退職の交渉をする相手方の選定基準には勤務状況という点もあつたが、それは特に成績の優秀な者を除外するとの趣旨であつたことは先に認定したとおりであつて、退職の交渉をした当該教員を他に転任させたからといつて格別の不合理はないのである。さらにまた、原告本人尋問の結果によれば、本件転任処分当時、結城二高においては高等学校教職員組合が組織されており、大子一高には右組合が存在しなかつたことが認められるけれども、被告県教委が右処分により原告を孤立化せしめる目的をもつていたというような事実はこれを認めるに足る証拠はない。要するに本件転任処分は、原告に対する退職の交渉と比較的近接した時期においてなされ、またそれは学年末学年初めの定期異動と時期的に少しずれていることは原告の主張するとおりであるが、原告が退職を承諾しなかつたことに対する報復手段として、特に原告に不利益を与える意図のもとに本件転任処分を行なつたという点はこれを肯認することができないのである。

してみれば、本件転任処分が被告県教委の裁量の範囲を逸脱した点において違法の行政処分であるとの原告の主張も採用することができない。

以上説明のとおりであるから、本件転任処分は(被告県教委において、原告を納得させるのに十分な措置をとらなかつた点について批判の余地はあり得るけれども、)手続的にもまた実体的にも、これを違法として取り消すべきほどの瑕疵はないものというべきである。

第二、被告県人委に対する請求について。

一、原告の被告県人委に対する請求原因事実中(一)の事実については当事者間に争いがない。

二、本件転任処分が不利益処分であるか否かを判定するため、被告県人委がした審査手続において、原告の主張する瑕疵が存するか否かについて判断する。

被告県人委が第七回公開口頭審理期日(昭和三十一年六月八日)に職権により、証人鈴木徳民、同鈴木春吉、同長南俊雄、同栗原武夫、同神谷四郎の証人尋問および原告本人の尋問をなしたこと、五十嵐徳一・為我井四郎の各口述書を職権により証拠として採用したこと、右各証人および原告本人の尋問手続において被告県人委は被尋問者に虚偽の陳述に対する制裁を告知しなかつたこと、原告が第八回期日(昭和三十一年七月三日)に右第七回期日の審理手続に関し書面をもつて異議を申し立て同申立が却下されたことは当事者間に争いがない。

原告主張の〈1〉〈2〉について

証人市岡茂の証言によれば、被告県人委の委員長は、第六回期日において、第七回期日を最終陳述期日とする予定である旨告げたが、第七回期日において職権による証拠取調を行ない、第八回期日(昭和三十一年七月三日)に審理を終結したことが認められる。しかしながら地方公務員法第八条第五項によれば人事委員会は法律または条例にもとづくその権限の行使に関し必要があるときは、証人を喚問し、または書類若しくはその写の提出を求めることができる旨規定されている。そして右必要性の有無は人事委員会の自由裁量により決定さるべきものであるから、本件において、被告県人委が職権による証拠調の必要ありと判断し、これを施行したことは、なんら違法の理由とはなりえないわけである。また人事委員会は職権による証拠調をするについては、事前にこれを当事者に通知しなければならないというものではない。成立に争いのない丙第十四、第十五号証によれば、第七回期日における証人尋問および本人尋問においては、被告県人委は原告に、尋問の機会を与えており、また原告側代理人も実際に尋問をなしたこと、また五十嵐徳一外一名の口述書の採用決定に関しては、第七回および第八回期日において、当事者に、意見を述べたり書面の成立につき認否する機会を与えていることが認められる。それゆえ、右の職権による証拠調が抜打的であつて原告に防禦の機会を完封した違法がある旨の原告の主張は理由がない。

原告主張の〈3〉について。

地方公務員法第六十一条は、同法第八条第五項の規定により人事委員会から証人として喚問を受けた者が虚偽の陳述をした場合の制裁を規定しており、そして成立に争いのない甲第十七号証によれば被告県人委の不利益処分の審査に関する規則にも人事委員会は証人の尋問に際し、虚偽の証言を行なつた場合の法律上の制裁を告知すべきものと定めていることが認められる。ところで、原告主張の各証人に対し、右制裁の告知がなされなかつたことは、被告県人委の認めて争わないところであるから、右の尋問手続には瑕疵があつたものといわねばならないけれども、丙第十四号証によれば、右の点については当事者からなんら異議が申し立てられなかつたことが認められるから、右の瑕疵は治癒されたものというべきである。

また、原告は第七回期日に証人の隔離尋問がなされなかつたというけれども、人事委員会に証人尋問につきいわゆる隔離尋問をなすべき旨の規定はない。もつとも、数人の証人を尋問するにあたつては、原則として順次にいわゆる隔離尋問をすることが真実発見のためにする趣旨にそうものであろうけれども民事訴訟においても隔離尋問は絶対的なものとはされていないのであるし(民事訴訟法第二百九十八条)、またこの点についてもなんら異議の申出もなく尋問を終了していることは、前記丙第十四号証によつて明らかであるから、いずれにしても証人の隔離尋問をしなかつたことをもつて本件判定の取消原因とすることはできない。

原告主張の〈4〉について。

原告は被告県人委が五十嵐徳一・為我井四郎の各口述書を証拠として採用したことが違法であると主張するけれども、前記不利益処分の審査に関する規則第十条第六項、第九条第七項によれば、人事委員会は、証人に対し、口頭による陳述にかえて、口述書の提出を求めることができるのであり、この場合には宣誓手続は要求されておらず、丙第十四、第十五号によれば、被告県人委の委員長は右口述書を当事者に閲覧せしめたことがうかがわれるから、被告県人委が右口述書を証拠として採用したことをもつて違法の処置ということはできない。なお原告は、被告県人委は、本件転任処分を承認し、被告県教委の主張立証を補充する目的のもとに第七回期日において職権による証拠調を行つた旨主張するけれども、右事実を認めるに足る証拠はない。

原告主張の〈5〉について。

第七回期日の証人の証言の信憑性、証拠の取捨選択に関する原告の主張は、それが被告県人委の自由裁量に属する事項である以上、これをもつて同期日の手続を違法とする理由とすることはできない。

以上のとおりであつて、被告県人委の第七回審理期日においては、同被告のなした判定に影響を及ぼすべき違法あるいは著しく不公正な証拠調がなされたものとは認められないのである。よつて右審理期日における手続に瑕疵があるとする原告の主張は採用することができない。

三、被告県人委のなした本件転任処分を承認する旨の判定が、法律の解釈・事実の認定・法律問題についての判断を誤つた違法があるかどうかについて。

前記第一、原告の被告県教委に対する請求において述べたごとく、本件転任処分はその成立手続に瑕疵がなく、また被告県教委の有する自由裁量権の範囲に属する適法な処分である。

よつて、右判断と同趣旨の被告県人委のなした本件判定は相当であり、本件判定においては法律の解釈・事実の認定・法律問題についての判断を誤つた違法がある旨の原告の主張は理由がない。

第三、結論

以上説明のとおりであるから、被告県教委のした本件転任処分および被告県人委のした本件判定の取消を求める原告の本訴請求はいずれもその理由がないものとしてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 多田貞治 広瀬友信 生末幸代)

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